原発性硬化性胆管炎と余命 ー悩ましいテーマだよ

原発性硬化性胆管炎の患者なら、「死」を少しは覚悟するだろう。

 

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もう6年ほど前からだろうか。私がそのことつまり「余命」について考え始めたのは。

私は中学三年生の入院の際、潰瘍性大腸炎だけを医師に宣告されていた。原発性硬化性胆管炎を宣告されたのは高校二年生の時だった。母は、知っていたと言う。気を遣ってくれたんだろうと思う。

宣告された私は、とりあえずインターネットで「原発性硬化性胆管炎とは」検索し、患者数が少ない病気であること、最終的には移植しなければ完治しないこと、移植したとしても再発率が高いこと、診断されてからのへ余命(移植しなければならない状態になること)が過去の平均から約10年であること、をすぐに把握した。ただただ、ただただ「余命」という言葉が突然私に重くのしかかってきた。

 

 

正直なところ、私はあまり移植に積極的じゃない。それしか方法がないとしても。原発性硬化性胆管炎、PSCの場合日本では多くは生体肝移植にて移植が行われているという。つまり、私が余命を伸ばしたくば親族等から肝臓の一部を分けて頂かなければいけない。

私が移植に積極的ではない、と現段階で考えている理由は、移植したとしても再発という概念が再び襲ってくる恐怖、移植をしたのちに金銭的にも精神的にもどうやって生活をしていけばいいのだろうという不安、親族の身体を頂くことへの抵抗、、、

こんなところだろうか。

一番の理由は移植したとしても死への恐怖からは逃れられないという恐怖だ。

 

診断されてから移植なしでも余命10年だとしよう。15歳で診断、今は22歳、と3年だ。なにが3年なのかも正直よくわからない。めちゃくちゃ生きてえ!!とも今は思わない。日々それなりに大学生としてバイトやサークル、遊びを楽しんでいるが、10年先の死を見据えてきた私の7年間は、先の見えないトンネルをふらふらとさまよっていただけの期間のようにも思える。目の前のことを精一杯やってきた。勉強も頑張って、それなりの学校に行けた。サークルも、アルバイトも、目の前にあるタスクは自分なりに精一杯楽しみながら努力を重ねた。でも、それは10年先を見ての行動ではなかった。だって先のこと考えてみろよ。結婚だってもちろんするわけにはいかない、就職したっていつ体調を壊すか分からない、たまに「余命」を思い出してどうしろっていうんだって思っていた。先の見えない中をふらふらとさまよっていた私は、何かに負けていた。

 

この問題だけは何年考えても分からない。私は、これから一体どうしたいんだろう。

 

 

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